明日5月24日は藩祖伊達政宗公のご命日です。
「知略に富んだ野心家」
歴史小説や大河ドラマで描かれた政宗は、こんな感じでしょうか。
が、仕事人としての政宗は少し違っているように思います。
【筆まめの人】
政宗は直筆の書状がたくさん残されていることで有名。
この時代の殿様の書状は、右筆という人が代書することが多かったので異例です。
「昨夜は飲み過ぎたが、実に楽しかった」など気さくなものもありました。
片倉小十郎に白石城主を命じた後の書状には、「自分なりにあれこれ考えてのことだから文句を申すな」とも。
気候温暖な亘理城と比べ白石城は寒冷の地にあり、小十郎は不満に思っているかもしれない、と考えたのでしょうか。
今日でいうLINE感覚で部下とのコミュニケーションを図っていたのです。
これを現代社会に置き換えてみると、自治体の首長や会社の社長から労いのお手紙やメールを直接いただくようなもの。
これは励みになりますね!
部下とのコミュニケーションの重要性を理解すればこそ、と思います。
【気遣いの人】
晩年のことです。
体調不良が続き、元気の無い主君を元気づけようと家臣が鷹狩りを企画しました。
「朝食は現地に着いてからにしょう」と政宗は提案します。
食欲は無いのですが、朝食を全く食べないと家臣に心配をかけてしまう…
鷹狩りの合間を縫っての食事とすれば、自分が少しだけしか食べなくとも目立たないだろう、と気遣ってのことと言います。
きめ細やかですね。
部下の気持ちを大切にしたかったのでしょう。
組織の基礎を成すのは人であることを承知すればこそ、と思います。
【謹厳の人】
奥方の愛姫は、坂之上田村麻呂の末裔と言われる田村家の出。伊達家より格上です。
政宗は愛姫に別宅を与え、一緒の部屋にいる時は奥方を主座に据え、自らは少し下がって座ったと言います。
武家としての格式を重んじたのですね。
余命いくばくもないという状態になり、愛姫は一目お会いしたいと使いを出します。
ですが、政宗の返答はこんな感じ。
「具合がよければこちらから訪問するところだが叶わない。(格上の)あなたを私の部屋へ呼び寄せる訳にもいかない。回復せずに死んだ場合は縁が無かったものと思ってください」
自らを厳しく律する人だったのでしょう。
ご自身の中に一本しっかりとした芯があるのですね…
これほど厳しく自分を律する方は、仕事においても判断にブレが無く、毅然と対応してくださるような気がします。
仕事人としての政宗は、
「お仕えしがいのある上司」
このことではないでしょうか。
現在社会においても、一流のトップとして縦横無尽の活躍を見せてくださるような気がします。
*参考文献
佐藤憲一「伊達政宗の素顔: 筆まめ戦国大名の生涯」(2020年)吉川弘文館
小林千草「伊達政宗、最期の日々」(2010年)講談社