仕事における公私の閾値

不正な行為

閾値(いきち)とは境界となる値のこと。

デジタルオーディオ信号にも0と1の閾値があります。

CDドライブを交換して音質が変化するのは、使用する機材によって閾値の読み取り精度が異なるためなのです。

 

令和4年12月のことですが、ある自治体の施設で、落し物の現金を警察に届け出ず、物品購入費に流用していた、という事案がありました。リンク(毎日新聞)

「少額だったから」

という趣旨の説明があったのだそうです。

この場合の「閾値」はいくらか?

読者の皆さんもご案内のとおり、多額か少額かで取り扱いが変わることはありません。

たとえ1円であっても適正に処理すべきことなのです。

 

大分前のことですが、部下がファックスの番号を間違えて民間のお宅に資料を大量に送信してしまった、という事案を経験しました。

先方は大層お冠で、紙代を弁償せよ、電話料金を補償せよ、などと強硬なご主張。

金額に換算すれば100円にも満たない話でしょうから、ポケットマネーで解決しようか?などという不適切な考えも一瞬脳裏をよぎりました。

少額だったから、ということですね。

 

ですが、公の仕事に対して1円たりとも私財を投じてはなりません。

苦しい時ほど、原理原則に忠実に。

このことでありまして、上述の案件においても、平身低頭お詫びに徹し、最終的には何とかお許しをいただきました。

当時の私には、確固たるスタンダードがあった訳ではないので、苦しい思いをいたしましたけれど。

 

現金を扱う窓口などでお金の計算が合わない、というのはたまにあること。

この場合も、1円合わなくとも、1万円合わなくとも、対応は同じです。

現金の残高が合わないという事実を組織として共有し、処置すべき会計処理を施すだけ。

原因の調査や再発防止策などは当然必要ですし、状況によっては事案の公表などもあり得るでしょう。

けれど、それこそがあるべき道筋なのです。

「仕事における公私の閾値は1円」

これが本日のお題でございます。

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