仙台市役所の一番長い日

温故知新でまちづくり

あれは、1993年6月29日のことでした。

「東京地検特捜部 仙台市最高幹部を逮捕へ」

とのスクープ報道が朝のNHKニュースで流れました。

 

「最高幹部」とは誰か。

職場では「あの人では?」「いや、この人だと思う!」などと無責任な会話が交わされていました。

そんな中、上司は「仙台市の最高幹部と言えば市長しかいない。」と断言。

「まさか!」と誰もが思っていたのですが…

お昼前後だったでしょうか。何と本当に石井亨市長が逮捕されてしまったのです。

いわゆるゼネコン汚職というやつでした。

そこから長い長い一日が始まりました。

 

当時の私の部署は財政課。

検察の職員が課長を訪ね、予算関連の資料を全て提出して欲しい、と要請しました。

担当者の分も含め一切合財とのこと。

否も応もありません。

「とにかく全部提出しろ~」

と号令がかかり、段ボール箱へせっせと予算関係のファイルを詰め込み始めました。

全ての資料の運び出しが完了したのは午前零時近くだったでしょうか。

 

スッカラカンになったロッカーの群れを眺めつつ、次年度予算をどうやって査定したものか、と呆然としていたことを覚えています。

担当者は、前年度のファイルを眺めながら査定を行っていましたからね。

費目ごとに色々と査定のノウハウがあったのです。

その後、前年度の査定資料一式だけはコピーさせてもらえる運びとなり、どうにか次年度予算の編成を行うことができました。

 

当時の仙台市は多くの自治体からブーイングを浴び、後任の藤井黎市長は就任直後の東北市長会の席で怒号のような声に包まれたと述懐しておられます。

仙台市役所にとって、まさしく「黒歴史」というべき事件ですが、後世に語り継ぐべき汚点と思います。

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