2005年ペナントレースの開幕直前。宮城球場周辺の自治会を中心に、交通渋滞や違法駐車への懸念が強まっていました。
この点、球団はしっかりとした対応を取ってくれたのですが、その説明会での出来事です。
交通政策担当部署の分析で、試合終了後の一斉帰宅の際に交通渋滞の発生が懸念される、とのシミュレーション結果が出ていました。
逆に、試合開催前は三々五々観客が集まってくるので、そうした心配は生じないとの分析。なので、説明会ではその旨を私からお伝えしました。
場所は失念しましたが、宮城野区役所のご協力を得て、町内会や交通指導隊など地域の方々を一堂に集めての説明会だったと記憶しています。
質疑応答で、年配の方から、
「あなた、そんな簡単に言うけれど、昔、プロ野球の試合が開催された時は、大勢の人が殺到し、フェンスが倒れて死者まで出ているのだからね!」
と語気鋭く、お叱りをいただいてしまいました。
フレンドリーに説明しようと「試合開始前の方は大丈夫ですから!」と軽口をたたいたのが間違いでした。
しかし、私も宮城球場の近くで生まれ育った人間ですが、そうしたお話は耳にしたことがありません。
ロッテが優勝した時のことだろうか???と、長年疑問に思っていました。
数年前、市史か何かを読んでいる時に、以下の記述を発見し、謎が解けました。
・戦後、宮城球場が建設され、こけら落としとしてプロ野球の試合が開催された。
・その際、観客が殺到した1塁側フェンスが倒壊するという事故が発生した。
・死者3名、重傷者12名、軽傷者19名。
昭和25年。50年以上前のお話です…
市議会や市民の方々との対応においては「過去の経緯」が大変重要です。
歴々担当者が交代しても、先方はきちんと経過をご記憶なのでした。
「十年一日」ということですね。勉強になりました!
…4月1日。ホーム開幕戦で湧く球場の外周を地域団体の方々と巡回していました。
とても冷え込みの厳しい夜だったと記憶しています。
同日付でガス局へ異動となっていた私ですが、「元担当課長」としてせめてものご奉公を、と思った次第です。
4か月と13日。私のキャリアの中で最短の仕事でありました。
おやじネタについてのささやかな解説
【ロッテの優勝】
ロッテは一時期宮城県営球場を主たる本拠地として活動していました。
1970年代のお話です。
地元仙台には、「ロッテバブルボーイズ」という子ども向けのファンクラブもあったのです。
ナイターが出来るよう照明灯が新設され、実家周辺がやたら明るくなったことを覚えています。
1974年、400勝投手の金田監督の下、ロッテは快進撃を続け、ついにパリーグ優勝を成し遂げ、日本シリーズ進出を果たしました。
県営宮城球場で日本シリーズが!と地元の皆さんは喜んだのですが…
収容人員の関係からだったと思いますが、無念の後楽園球場での開催。
多くの方々が落胆したように記憶しています。