【驚くべき数字】
40パーセント超。
東日本大震災の後に入庁した仙台市役所職員の割合であります。
11年前。遠路はるばる迅速に駆けつけてくださった神戸市役所の方のお話を鮮明に記憶しています。
「ウチの役所でも、半分以上の職員が阪神・淡路大震災のことを知らんのですわ。」
仙台市役所においても、あと数年経つと同様の状況に陥ることでありましょう。
【ささやかながら】
「仙台市 震災記録誌」リンク(仙台市ホームページ)に詳細は記載されていませんが、ささやかながらお役に立った仕事があります。
避難所への支援物資の配送方法の変更です。
当時のマニュアルでは、物資集配拠点から各区役所へ物資を運び、区役所から各避難所へ配送する、という「二段ロケット」の段取りになっていました。
しかし、圧倒的にマンパワーが不足したため、区役所には支援物資が置いてあるのに避難所に届けられていない、という状況が発生。
私が在籍していた企画調整局に支援物資配送の役割はありませんでしたが、「こうすればよいのではないか!」というアイデアを思いつきました。
考えた案は、企画調整局が各区役所から寄せられた支援物資のリストを集約。
物資集配拠点へ一括してリストを送り、拠点から各避難所へ直接配送する「一段ロケット方式」です。
【災害対策本部に潜入】
危機管理室の職員に相談すると、「絶対にその方がよい」とのお話。腹は決まりました。
局長の了承を得て、災害対策本部会議に潜入。会議終了後、区長さんらに、
「庁内調整やら何やら企画で全部引き受けますが如何ですか?」
と直球でご相談しました。
話はすぐにまとまり、配送システムの変更と相成りました。
生来の出しゃばりな性格がこの時だけはよい方向に作用した、と思っております。
【ほんの一行の出来事】
ですが、これは800頁近くある記録誌の中のほんの一行ほどの出来事に過ぎません。
1万人いる市役所職員全ての頑張りが、この時の復旧活動を支えたのです。
震災の記憶の風化が懸念されていますが、心配性でもある私は、仙台市役所にとってかけがえのない財産であるはずの「震災対応のノウハウ」が失われていくのでは、と気にかかっています。
【属人的なノウハウの重要性】
その後にマニュアル化された部分もたくさんあるでしょう。
しかし、属人的に有しているノウハウがたくさんあるはずだ、と私は睨んでいます。
例えば、大量に発生する震災ごみへの対処方法。
単純に積めばよいというものではなく、ごみの重みで自然発火しないよう高さの加減などがあるのだそうです。
環境局長を務めていた時、その道の第一人者の方に教えていただきました。
【防災環境都市の一丁目一番地】
震災の経験と教訓を未来へと継承していく。
これは、防災環境都市・仙台の使命でありましょう。
その使命を全うするためにも、震災対応の第一人者としてのノウハウを組織的に保有し、継承していくことが、ますます重要になっていくのではないでしょうか。
・大震災の経験を組織の業務として語り継いでいくこと。
・OB職員を含め人材を確保し、ノウハウを枯らさぬこと。
・大震災を知らない若い職員に対しては組織的に訓練を行っていくこと。
いずれも大切なことのように思えます。
【10万人】
仙台市内における「震災を知らない子供たち」の概数(私の試算)であります。
この子らを守り抜くためにも、震災後に入庁した職員が過半を超えていく、これからの10年こそが勝負だと思います。
仙台市役所が「震災対応のエキスパート」として日本中、世界中から頼られる存在であり続けることを心から願っております。