岡山県の笠岡市議会で、本来否決と宣告すべき議案について、議長が誤って可決と宣告してしまった、という事案が報道されました。
この事案では、閉会後に録音データを確認して言い間違いが判明したため、臨時議会を開いて改めて議決するのだそうです。
議長が言い間違えた直後に指摘できていればよかったのですが…
カケツとヒケツ。
耳で聞いている分には一文字しか違いません。
「本案はカケツされました」
議場にはおそらく数十人の関係者がいて、全員が確かに「カケツ」と耳にしたのでしょうけれど。
「聞こえているけれど、聴こえていない」
こういうお話ではないでしょうか。
実は似たような事例を知っておりまして、
令和〇年と答弁すべきところを令和△年だか平成〇年だかと言い間違えたものの、本人を含め、その場にいた全員が気付かなかったことがありました。
後刻ビデオで確認すると、確かに盛大に言い間違えているのですが、画面に映っている人達の誰一人として間違いに気付いた様子が無く、少々驚いた記憶があります。
印刷物の校正作業においても同様の事象は発生します。
単純な校正ミスなのに誰も気付かないケース。
「網膜には映っているのだけれど現象」と私は呼称しています。
なので、校正作業の究極奥義は「虚心坦懐に読む」ことだと思っています。
今回は「鼓膜には届いているのだけれど…」というケースになるのでしょうか。
対応策としては、「言い間違いがあり得ると思って聴く」ということかな、と思います。
実際、提案理由説明などの時に議案名に注意を払って聴いている人は多いように思っておりました。
可能性があることを経験的に承知しているからなのでしょう。
議会の話に限らず、表彰式典などで市民のお名前を読み上げる場合とか、あれこれ応用範囲を考えてみてはどうでしょうか。