令和4年3月1日の河北新報朝刊に、仙台市宮城野区の蒲生北部地区で行われてきた土地区画整理事業がこの3月で完了することを報じる記事が掲載されました。リンク
事業開始から9年で完了という離れ業です。
【平成24年当時の状況】
蒲生北部地区は、仙台港に隣接し、被災前は、住宅地に加えて工業系の土地利用がされていました。近くには、渡り鳥の生息地として有名な蒲生干潟(アイキャッチ画像)もあります。
東日本大震災では津波で甚大な被害を受け、平成23年12月には災害危険区域に指定され、住宅などの新増築が出来なくなりました。
平成24年当時は、防災集団移転の説明会が進められる一方、再稼働している事業所も点在する、という状況でした。
復興事業局としては産業集積の場としての再整備を考えましたが、仙台市施行による土地区画整理事業の手法を採用することについて、当時、私は懐疑的でした。
保留地が本当に売れるのか、自分の中ではよく分からなかったからです。
【担当部局の頑張り】
しかし、私の心配は杞憂に終わりました。
平成26年4月に始まった土地区画整理事業は、この3月をもって完了。
蒲生北部地区は、産業集積の地として生まれ変わりつつあります。
宮城野区長時代に、このエリアを何度か訪問しましたが、訪れるたびに光景が違っているのにはびっくりしました。
もの凄いスピードで土地区画整理事業が進み、同時並行で事業所の立地が進んでいたのです。
事業を所管した復興事業局、それを引き継いだ都市整備局の頑張りの賜物でありましょう。
【虎穴に入らずんば】
この事案のポイントは、保留地が売れないというリスクはゼロではなかったのだけれど、断固たる決意で一歩踏み込んだところにあったと思います。
仕事において、全くノーリスクでリターンが得られる、という虫のいい話は滅多にありません。
「時に虎穴の覚悟も必要」
まさに、このことでありましょう。
【縦割りの垣根を越えてこそ】
もう1点。防災集団移転に伴い仙台市が買い上げた土地を土地区画整理事業で集約し、産業集積に利用するに際し、経済局が一肌脱いだこともポイントでした。
企業誘致のノウハウを活かし、市有地部分への事業者の呼び込みに尽力しました。
全庁一丸となって、と議会では申し上げますが、
「縦割りの垣根を越えてこその全庁一丸」
このことではないでしょうか。
「復興事業局があれだけ頑張っているのだから、俺たち経済局も一緒に頑張らないでどうするんだ!」
蒲生北部地区の再整備方針を議論していた当時、局長を務めておられた先輩の姿を思い出しました。
私は総務企画局に在籍していましたから打ち合わせの現場に居合わせるはずはなく、伝え聞いた話が心象風景として記憶されているのでしょうけれど。
【住民の皆さんの思いを受けて】
しかし、本事案を成立させた最大のポイントは、防災集団移転のお願いに対して、地域の方々が早期に応じてくださった。このことに尽きると思います。
宮城野区長時代に、元住民の方々に何度かお話を聞かせていただく機会がありました。
皆さん本当に色々な思いを抱えておられたのです。
仙台市役所職員の一人として、ただただ頭の下がる思いでした。
これからの10年。蒲生北部地区はますます活況を呈していくことでありましょう。
「蒲生の輝き」が世界中に発信されていくことを信じております。