卒業祝いとして用意された赤飯給食2100食が廃棄されてしまった事案。
あれこれと論議を呼んでいます。
事の発端は、保護者からの一本の電話でした。
「大震災のあった日に赤飯を給食として提供するのはいかがなものか」
という趣旨。
電話を受けた学校は教育委員会に報告。
教育委員会は赤飯の提供中止を決定します。
生徒たちには非常食として備蓄していた缶詰パンが供され、赤飯2100食は廃棄処分となりました。
この事案は色んな角度から切り取ることが可能ですが、今回は「天秤志向」の問題として
考えてみました。
私が「天秤思考」と呼ぶ仕事術は、
「二択の問いかけを繰り返すことにより、仕事の進め方を短時間で決定する」
というもの。
今回の事案では、
「大震災のあった日に赤飯を給食として提供することは適切である。YesかNoか。」
という二択を考え、教育員会としてはNoを選択したのだと思います。
後出しジャンケンであることを承知で申し上げますが、ここでもう一問考えてみるべきでした。
「用意された2100食の赤飯を廃棄することは社会的に許容される。YesかNoか。」
これであります。
ネットで色んな方があれこれと書いておられますが、食品ロス削減の観点や食育の視点など問題満載です。
つまり、この事案は、
「赤飯を提供しても廃棄しても、いずれお叱りをいただく」
という究極の二択を迫られる問題であったのです。
こういう場合、私は「どちらが言い訳しやすいか」という身も蓋もないことを考えてしまいます。
赤飯を提供してのお叱り。これは、被災された方々の心情に対するご批判でありましょう。
でも、何となく次のような言葉を続けられるような気がします。
「かねてよりの取り組みでございまして、子ども達も楽しみにしているところであり、何卒ご理解賜りたく存じます。」
「次年度以降については、ご指摘を踏まえ、適切に対応してまいります。」
ネットの記事には、そもそも赤飯は祝いの日にだけ食べるものではない、とか、震災時に食料に困った記憶を大切にする意味もある、とかありますけど。
敢えて正面突破を目指さなくても、十分にご説明が可能だと思います。
一方、赤飯を廃棄してのお叱り。
これは食品ロスとか食育の観点からのご批判です。
食品ロスの削減について、自治体には「地域の特性に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する」と法律にあります。
食育基本法には「子どもの教育に携わる者は食育の重要性を十分自覚し積極的に取り組む責務がある」との条文も。
「食品ロスの削減や食育の簡単から適当でないことは十分認識しておりますが、被災地として大震災のあった日を迎えることの重みを鑑みてのやむを得ざる対応でございます。」
これくらいしか言い訳が思い付きません。分が悪いですね。
「赤飯を提供しても捨ててもお叱りをいただく。もったいないから捨てずに提供する方がいい。YesかNoか。」
単純にこれでよかったのだと思います。
