先般、「消滅可能性自治体」の一覧が公表され、大きな話題となりました。
本当に「消滅」してしまうのでしょうか??
企画部門の部長か次長を務めていた際、町内会の消滅可能性について調査したことがあります。
当初、私の立てた仮説は、
「町内会への加入率がこのまま低下を続けていくと、いずれ消滅する町内会が出てくる」
というもの。
しかし、調査を委託したコンサルタント会社の担当者は、これに懐疑的でした。
その道のプロの見立てですからね。
そんなものかなぁ…などと思いました。
でも、その後の状況を見ると、実際に「町内会が無くなってしまった地域」がいくつか出現しました。
町内会がなくなって何か困ることが発生したか?と考えてみると、実はそれほどの困りごとは生じていないような…
これから先、町内会を支えてくださる熱心な方々の割合は減少を続けていくと思うのです。
町内会の消滅可能性をきちんと考えておいた方がいいような気がします。
では、自治体の消滅可能性はどうか?
確かに、状況は極めて深刻です。
2050年の予測人口の一覧表を眺めると愕然とします。リンク(朝日新聞デジタル)
消滅可能性が論じられるのも「むべなるかな…」とも思います。
消滅可能性からの「脱却」を訴える論調の報道が多いのですが、果たしてその方向性は当たっているのでしょうか?
私は「ハズレ」だと思っています。
独立した自治体として成り立つための大前提が、根底から覆りつつあるのです。
消滅可能性からの「脱却」を志向するということは、「従来の枠組み・前提にしがみついて何とかしよう」とする発想です。
前提が違ってきているのですから、根本的に違うことを考えて出口を見出さなくてはなりません。
ちばてつやの「あしたのジョー」的に申し上げれば、
「あしたはどっちだ?」
であります。
私の仕事術に「逆さま思考」というものがあります。
物事を逆の方向から考えてみると意外とよい考えが思いつく、というもの。
このケースでは、従来の形では自治体が成り立たなくなる…と右往左往しているのですから、
「自治体のあり方として、今までと同じ形態を未来永劫継続しなければならないか?」
と思考します。
すると、「必ずしもそうではない」と私は気づくのです。
単独の市町村として存在出来ない状態なのであれば、
「単独の市町村として存在することを止めてみる」
と思考します。
今まで3つの市や町であった地域をガッチャンコして1つの自治体にしてしまう。
その考えをどんどん延長していくとどうなるか?
私の答えは、「道州制の導入」。これであります。
30年ほど前から論じられ、一向に実現する気配の無かった施策ですが!
霞が関が自らの権力を手放すことは決して無いので道州制は実現しない。
これが、かねての持論でしたが、人口減少という待った無しの「圧力」が30年来の懸案を実現させてしまうような気がしています。
広大な国土を有する米国には、郡(County)直轄のエリアがたくさんあります。
そういう場所はCityでもTownでも無いのです。
本件の仕上がりイメージはそんな感じかなぁ…と感じた次第です。