仙台は学びの都と言われます。
歴史をひも解くと、明治時代に全国で5校だけ設置された国直轄の高等中学校(後の第二高校学校)が置かれたり、全国で3番目となる帝国大学(後の東北大学)を誘致したり、といった状況はたしかにありました。
しかし、それと同時に、私立学校が大変多い。
このことも仙台の特徴であり、学都と呼ばれる所以でもあります。
市史などの地元関連本をあれこれ読みましたが、何故これだけの数の私学が仙台に立地したのか?
この疑問に答えてくれる情報は見当たりませんでした。
今回、「東北学院の歴史」という本を読んで、少し状況が見えてきたように思います。
仙台に私立学校が多くある理由。
それは、おそらく、明治時代におけるキリスト教の布教活動と密接な関係があったように思えます。
私は宗教には全く疎いのですが、キリスト教にも色々な宗派があり、明治時代には各宗派がこぞって来日し、自らの宗派の布教に力を注いでいたのだそうです。
米国ドイツ改革派教会という宗派は、やや出遅れての伝道活動となり、東京や大阪あたりは他の教派の浸透が既に進んでいたこともあり、新たな伝道の地を探していました。
で、ドイツ改革派は仙台を伝道の地として選んだのです。
理由は、ある宣教師がもたらした情報でした。
“そこ(注:仙台)にはほとんど手付かずの広い伝道圏があり、その地の人々からの財政的援助さえも期待できる”
というもの。
当時の関係者には、仙台は「未開のフロンティア」のように映ったのでしょうか。
明治時代に設立された私立学校を追っていくと、私立東華中学校(新島襄が初代校長、廃校)、仙台神学校(後の東北学院)、宮城女学校(宮城女子学院)、尚絅女学校(尚絅学院)、仙台女学校(仙台白百合学園)と、ズラリとキリスト教系の学校が並びます。
金田一少年的に申し上げれば、
「謎はすべて解けた」
であります。
仙台にかくも私立学校が多く設立された大きな理由。それは、
「仙台がキリスト教の布教活動における“草刈り場”だったから」
まさに、このことでありましょう。
*参考文献
学校法人 東北学院「東北学院の歴史」(2017年)河北新報出版センター