【マイナス3からのスタート】
私は昭和60年の入庁ですが、大学で寄り道しなければ昭和58年入庁の男です。
拙著「公務員 仕事の虎の巻」の後書きにも書きましたが、恥ずかしながら上級職の採用試験を3回も受けています…
上級職としての採用年次は昭和61年であり、私の市役所人生は「マイナス3年」からのスタートでした。
【プラス1をいただいたご恩】
30代半ば。昭和60年採用の上級職が係長に昇任する時期を迎えました。
昇任試験が導入される前だったので、昇任は基本的に採用年次順だったのです。
自分の場合はどうなるのかなぁ…などと考えていたら、60年組と同じタイミングで昇任させていただきました。
当時は自覚ゼロでしたが、これは「プラス1年」の勿体ないほどのご評価をいただいた、ということなのでした。
後年管理職に昇任し、人事評価における課長評定の重要性を知った時の驚きといったらありません。
何せ、私ときたら当時の課長に対して反発し、悪態ばかりついていたのですから…
【驚きのプラス3】
課長職と部長職の昇任においても、私は60年組と同じ扱いをしていただきました。
びっくりしたのは、次長への昇任。
国際センター展示棟の仕事を手がけていた時で、建設場所などの懸案を整理し、次年度以降は経済局に所管を移して、具体の設計を進めていくタイミングでした。
異動内示の呼び出しを受けたので、これは展示棟の仕事と一緒に経済局の部長を拝命するのだろう…と考えました。
副市長から内示をいただくのですが、「経済局の〇〇部長でしょう!」と逆内示してみました。バカですね!
しかし、副市長からは「ブーです。小林君は総務企画局の次長です。」とのお答え。
いやいや、これには驚きました。おそらく市役所中がびっくりしたと思います。
通常より3年も早いタイミングでした。
この時点で私の市役所人生はプラス1となったのです。
【市役所人生の計算式】
その後、ガス局理事、環境局長を務め、定年まで残り3年というところで宮城野区長を拝命。
奉職34年目にして初めての区役所勤務でした。
区役所の実務は何も知らなかったのですが、2年目になると、複数の町内会長さんから、
「いやいや、長年町内会の役員をやってっけど、あんだみたいな区長は初めてだぁ!」
と半ば呆れられていた次第です。
最後の1年も区長として頑張ろう!と思っていたら、まさかの呼び出し。
監査委員をお願いします、と伝えられます。
監査委員は特別職なので、一般職の私は退職しなければなりません。
定年より1年早い退職でマイナス1。
かくて、私の一般職としての市役所人生は、プラマイゼロで終わったのであります。
世の中、うまく出来ているものです。

