「どうも、藤井です。」
ある朝、私の机の電話が鳴り、
「はい。調整課です。」
と、いつもの調子で電話に出たら…
何と、藤井黎市長(当時)からのお電話でした。
びっくりしましたね!!
「昨日はご苦労さん。よかったよ。」
若くして亡くなった先輩を偲ぶ会でお披露目した私のラッパの演奏のことでした。
しどろもどろになりながら、何とか受け答えした…と思います。
虚心坦懐に申し上げて、私の演奏は大したこと無かったのですが。
ヤッターマン的に申し上げれば「豚もおだてりゃ木に登る」でありまして、それはそれは励みになったものでございます。
きっと、秘書課の職員にお願いして私のデスクの電話番号を調べ、出勤時間を確認した上で(当時は時差出勤で勤務時間が2パターンありました)電話をくださったのでしょうね。
勿論「私だけが!」などと自惚れるつもりはありません。
日頃から、さり気なく部下への心遣いをなさっていたのでしょう…
「素心」という本が遺されています。リンク
市長在職中に、藤井さんが市政だよりに執筆したコラムをまとめたものです。
当時、市長のスケジュールには「素心の執筆時間」という枠があり、大変厳格に管理されていました。
何とか政策会議を…と秘書課に頼み込んでも、その枠だけは絶対に明け渡してもらえませんでしたから。
コラムに綴られた言葉の何と瑞々しいこと!
次部長時代に私が書きまくった市長答弁とは、次元が3つくらい違います。
ブロンズ聖闘士とゴールド聖闘士の格の違い、みたいな感じですね!
その一方、口が悪かったのは有名。度が過ぎて失敗したこともありました。
楽天イーグルスが設立された年のドラフトの目玉は、ダルビッシュ選手と一場選手。
地元高校出身のダルビッシュを!との声もありましたが、球団が獲得したのは一場選手。
その後、写真週刊誌に在学中の喫煙写真が掲載され、
「ダルビッシュでなくワルビッシュだ。楽天に入らなくて良かった。」
などとコメントしてしまい、世の中の批判を浴びて陳謝…
それもこれも含めての藤井さんでした。
ゼネコン汚職でどん底に落ちた仙台市政を3期12年で立て直し、仙台市役所職員にとって忘れてはならない大恩人。
4月4日は藤井黎さんのご命日です。
震災の前年にお亡くなりになり、ご本人が愛してやまなかった仙台や故郷の釜石の惨状を目にすることはありませんでした。
「この11年間頑張ったな。ご苦労さん。」
ご存命であれば、全ての仙台市役所職員に向けて、そんな電話をいただいたのだろうな、と思います。
おやじネタについてのささやかな解説
【ヤッターマン】
はタツノコプロが1977年に製作したテレビアニメ。
2008年にリメイク、その翌年には実写化、2015年にはスピンオフ作品「夜ノヤッターマン」が制作されています。
おだてブタというキャラクターが登場し、椰子の木にツツツと登って「ブタもおだてりゃ木に登る」と言います。
【ブロンズ聖闘士】
と言えば、車田正美の「聖闘士星矢」。
アテナを守護する聖闘士にはブロンズ、シルバー、ゴールドと3つの階級があり、12人しかいないゴールド聖闘士は光速の拳を操る無敵の存在という設定です。
ちなみに、やたら見開きで描かれる必殺ブロー、〇人対〇人形式の団体戦、という車田正美の作風は、1977年の「リングにかけろ」で確立され、以後1ミリも変化がありません。
究極のワンパターンですが、ここまでくるともはや天晴れと言えましょう。