「杜の都・仙台」と耳にして青葉通や定禅寺通のけやき並木を思い浮かべる方は多いことでしょう。
これらの通りは終戦後に戦災瓦礫を再利用して築造されたものなのです。
仙台駅の改札を抜け、ペデストリアンデッキに降り立つと、仙台城まで真っ直ぐに伸びたけやき並木が訪問客をお迎する…はずでしたが。
実は、数百メートル先の交差点で少しだけ左に曲がっています。その理由は…
仙台空襲後、直ちに戦災復興計画が立案され、今の青葉通や広瀬通、定禅寺通が位置づけられました。
立案当初の戦災復興計画では、青葉通も直線となっていました。
ですが、そうすると道路の東端が駅舎の北側に位置することになってしまいます。
駅舎を移転することが技術的に困難だったため、一つ手前の交差点で約10度道路を曲げる案へと変更されました。
これが、当時「曲直問題」と呼ばれた騒動の発端なのです。
この変更案が公になると、直線案を強く主張する方々が現れました。土地所有者の利害関係というやつです。
用地買収される場所が変わりますからね。
しかし、この件はそうした本音ではなく、
「10度曲げると交通事故を生じる危険が増す」
「仙台駅方面からの景観が損なわれる」
などといった論点で語られました。
当時の地元紙でもA氏が持論を語ればB氏がこれに異を唱える、といった感じで一大論争に。
そもそも、ちっとも曲がっていないのに「曲直問題」と命名するあたりが素晴らしい。
この呼称を考案した人物は、なかなかの策士ですね。
3Dシミュレーションで立体画像を示す、などといった技術のない時代です。
「曲直問題」という言葉だけが独り歩きして事態の収束が見通せません。
進退きわまった仙台市役所は国に助けを求めます。
今の国交省に相当する組織の総裁が来仙し、公聴会を開催した上で裁定を下す、というウルトラCでした。国もよく話を受けてくれたものだと思います。
誰がどう考えたって、駅舎の正面から街のメインストリートが始まる方がよいに決まっています。
国の裁定もそのように下り、かくて今日の青葉通がある訳です。
目出度し目出度しぃ、というお話でした。
【補論】
青葉通が曲がっていることが分かる写真を…とフリー素材を探しましたが見つかりませんでした。
高い位置からバッチリ!という写真はあるのですが有料…4千円近くもします。
仕方がないので自分で撮影しました。
アイキャッチ画像はペデストリアンデッキからの眺め。
もう少し高い位置から…と周囲を見回すと…見つけましたよ!
それが下の1枚。
ロケ代150円です。さて、何処でしょう?