鉄道記念日特別編・仙石線物語

温故知新でまちづくり

仙石線は大正14年開業。

蒸気機関車全盛の時代において、最初から電化された鉄道として整備されました。

何故でしょう?

 

【発端は戦争需要】

話は第一次世界大戦の時代にさかのぼります。

この頃の戦争では砲弾が重要な武器。この砲弾を作るためには純度の高い亜鉛が必要でした。

当時の日本には生産技術がなく、欧米からの輸入が頼みの綱でしたが、欧米列強との関係が悪化すると輸入が難しくなっていました。

そこに、電気分解により軍部の求める純度の亜鉛を製造する方法を開発した研究者が現れます。

この人が、後に宮城電気鉄道(仙石線の前身の民間鉄道会社)を創業するのです。

 

【早速製造を開始したけれど…】

この人には実業家としての資質も備わっていたようで、当時の軍部から、

「是非ともこの方法で亜鉛を製造してくれたまえ」

との言葉を得て、早速、亜鉛の製造に着手。

大量の電気を必要とするため、県北の江合川(北上川の支流)で準備が進められていた水力発電事業に働きかけ、10年分の電力を買い取る契約をまとめてしまいました。

が、第一次世界大戦が終結すると砲弾の需要は激減。

残されたのは向こう10年間の電力買取契約だけ…という状況に陥りました。

 

【先ずは余剰電力ありき】

さーて、さすがに困ったことになりましたが、この人は諦めません。

先ずもって送電線を敷設して仙台まで電気を引っ張り、購入した電力の半分で紡績工場を始めました。

でも、まだ半分余っています…

そこで、考えついたのが「電車」という訳です。

亜鉛⇒電力⇒紡績⇒電気鉄道

いやいや、大した発想と実行力!というべきでしょう。

資金繰りは大変だったようで、苦労に苦労を重ねての開業でしたが、仙台~西塩釜間の開業を皮切りに、松島海岸、さらには石巻へと路線を伸ばしていきました。

 

【日本発の地下鉄道】

60歳以上の仙台市民はご記憶かと思いますが、昔の仙台駅の駅舎とは別に、その北側の一角に仙石線の地下改札の入り口がありました。

改札を通り、数百メートル地下道を歩いて階段を上ると仙台駅の東側に抜けて、仙石線の始発ホームがある、という寸法。

さらに昔には、宮城電気鉄道の「地下ホーム」もあったのだそうです。

仙石線は、短い距離ではあるものの、日本で初めて地下を走る鉄道だったのです。

あの地下道はどうなったのだろう…と担当部署の方に尋ねてみたところ、仙石線の地下化や東西自由通路の整備などに伴い埋め殺しにしたのでは、ということでした。

何千年か先に発掘されたら、発見者は悩むでしょうね。

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